最期に遺るモノ。

好きな子にLINEを無視されたとき、それは一週間で笑い話になった。
一番大好きだった彼女にフラれたとき、それは一年で思い出になった。
命懸けだった大学受験で失敗したとき、それは三年で懐かしさになった。

でも最期、自分が死ぬとき、それは何年で「過去のモノ」になってくれるの?

目の前に死が突然現れたとき、強く出た感情は紛れも無い ”後悔” であった。

”人生は細く長く生きても楽しくない。生きるなら太く短く”

なんて発言をしていたがそれは死への想像力が無い人間の発言であった。

大事だと思っていたお金仕事周りの目、そんなモノは死の女神がふと自分に微笑みかけてきた時、あまりにも小さかった。

人生、生きることに疲れる時もあったが、そんなことは大体数年で笑い話になる。どれだけ自分の心を満たすことができるか、この答えを以て生きることができれば人生がさらに豊かになったはずだ。

人は大事なモノを失って初めてその大切さを気づく、その言葉の意味を理解するには少し遅すぎたみたいだ。

身体は死に向かうのに、心は生にしがみつこうとする。

後悔が残るのも、また人生らしくて。

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